どうしてプログラムとか英語が必要なのか

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教育改革の話をすると、よく話題に上がるのが英語とプログラミングです。

小学校の教育カリキュラムに入るから話題性があるためでしょう。

ただ英語もプログラミングもスキルそのものは、
今後だんだん要らなくなってくるものであるともいえます。

プログラミングのスキルは、AIにとってかわられました。
どうやってコードを書いていくかは
もはや人間の頭で考えることではなくなっていきます。
既に便利なツールが出てきていてプログラマの負荷は減ってきています。

まあ言ってしまえばプログラマ1日の単価が変化しないまま、
要求されるコーディング量が増えていくということもできるでしょう。
ということは、単価が下がるということになります。

実際、プログラマの仕事はコーディングそのものよりも、
どうやって効率よく目的に合った動作をするようにするかを決めたり、
システムの使い勝手がよいデザイン、動きを決めたりすることも
ありますので、今後はそちらが腕の見せ所になってくる仕事にシフトしていくでしょう。

過去20年くらいは、このような部分を中国やベトナムに委託する
といった「オフショア開発」をしていましたが、AIの精度が増してくれば、
だんだんAIにお願いしていくことになります。

そういうことを総合的に考えると、小学生がプログラムを習う意味というのは、
コーディングのスキルの習得ではないことがはっきりします。

ではなぜ、今プログラミングなのでしょうか?

プログラムを組むということは、論理的な思考を鍛えることになることにつながるからです。

今までの教育を受けてきた私たちは、どういう方法で解答を得られるかを
訓練によって習得しています。

たとえば

x-5 = 8  のとき、xはなんでしょう?

という問題であれば、

「両辺に5を足す」であったり「移項する」という「技」を使って、
x= 8+5 だから x=13 を得る方法を知ってます。
まあこのくらいであれば教わらなくても感覚で出す子も多いと思いますが、
この手の解答を出すのにやり方を考えることはせいぜい最初に教わった1回だけです。
その1回すらも先生から教えてもらうのを待つ子供も多いです。

「ほしい結果を出すためのプロセスを真剣に考える」

この訓練が圧倒的に不足しているのです。

プログラムを習うとしても、隣の子と全く同じようにコーディングをしても
意味がありません。相談したりしたのであれば、その相談の意味はありますが。

あくまでも「目的の動作をするためにどうしたらいいんだろうか」と考えること。
試行錯誤してみること。

「ロボットが3センチ進むようにしたつもりがこうなった。
やろうと思った通りに動いているのだろうか?
後2センチ進ませるにはどうしたらいいだろうか?」

答えが出る場合もありますし、もしかしたらすごく難しくてなかなかできないことに
チャレンジしているのかもしれません。

プログラムを作る時点ではやろうとしていることの難易度がわからない
ということもよくあります。

学校の勉強であれば、だいたい今まで習ったことを(だいたいは直前に習ったこと)を
適用すれば回答が得られるような問題ばかりなのですが、
簡単に答えがでないかもしれません。

出なかったらどうするか?何が不足しているのか現状との差異を分析して、
得たい結果に近づくために一つずつ課題をつぶしていく。
もしくは根本的な改善をしていく。

そんなことを頭の中で繰り返すことが大事なのです。
それがプログラムを学ぶ意義だと思います。

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