「我慢する力」は不要になっている

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今の子供たちが大人になる頃は、「我慢する力」では乗り切れない時代だと感じます。
既に「我慢」で生きていける範囲はかなり狭まりつつあるような気もしますが。

以前は、会社で「我慢して」怒られながら仕事をしていれば、(成果はともかく)仕事を続けられる状況がありました。

「我慢」というのは学校でも重視されていたし、特に私が子供の頃は、我慢こそが美徳みたいなところすらあり、朝礼で我慢して立って聞くことが大事だということも言われました。だから先生はもっと生徒が聞きたいことを話そうとする工夫も要らない(←やや言い過ぎですが)みたいな部分すらあった気がします。

もう20年も経つと学校卒業後の進路をどこに就職するかをスタートに考えることもなくなると思います。自分で「世にどういう価値提供をしていく人になるか」を決める必要が出てくるのです。

言ってしまえば「我慢さえしていれば生きていける」時代は楽な時代だったとも言えます。
何も考えなくても、周りと同じようにやっていればそれなりに満足して生きていけたのですから。

でもこの先、そうはいかなくなってくるでしょう。「一人一人が世にどんな価値を提供して生きていくか。」「自分がどうなりたいのか。」「自分のお役目は何ですか?」それをきちんと考えて、結論を出していかなければならないからです。

ただ、「我慢をやめましょう」という話になると、全てそういうわけでもないと思います。

ある結果を得るための一過程として我慢が必要な場面はあります。

私も自分で考える教育の考え方を広めたいから、このようにブログを書いてますが、
正直ブログ書くより他のことをやりたいこともあります(笑)。

でもみんなに考えをお伝えする手段としてブログだったりメルマガだったりで発信するという手段を選んだので時には我慢で対応しています。

だから何でも我慢がよくないということでもありません。

うちは空手を習わせていますがよく悩むことがあります。

というのも、練習に行きたがらないからです。

週二回水曜日と金曜日に行ってるのですが特に水曜日に行ってる先生が怖くて、
そのせいで火曜日の朝から「明日行きたくないなぁ」なんて言ってます。

こういう時「我慢が要らない」という観点で考えると、だったらやめましょうって話になるのですが、うちの場合は特殊な事情があります。

子供は5歳の時にその厳しい先生に出会って、空手にはまりました。
先生の姿に一瞬で憧れたのです。そして「大きくなったら空手の選手になりたい」
とずっと言い続けてます。

時には教室に行くまでの道中、ずっと行きたくないと大泣きしていて、
あまりに大声で叫ぶからびっくりした人が人だかりを作ることがあります(泣)。

でもこの「大きくなったら空手の選手になりたい」気持ちを今のところぶらすことはありません。
練習前にどんなに泣いてても、練習が始まればスイッチが入って集中できるので、
これは「単なる我慢」ではないと私が判断して今は続けさせてます。

「悪い我慢」と「いい我慢」。

私が思うに、悪い我慢は我慢した結果に何が起こるか考えられてない我慢なのかなと思います。例えば自分の商品にクレームが入ったときにお客様からの文句を聞き、必要な情報を収集し、それを元に現場改善していくのは「よい我慢」でしょう。

もし惰性でとか、みんながやってるから、とか体裁のためにということが理由だけでしている我慢があれば、それは悪い我慢です。

特に体裁、メンツはなかなか断ち切るのが難しい部分もありますが、大人が勇気をもって新しい考え方の風をご家庭に取り入れる時期なのかもしれません。